不登校予備軍だった子供が毎日教室に入れるようになるまで

不登校予備軍の子供が教室に入れるようになるまで

サイトの更新が滞っていました。お仕事が忙しくなってきたので、時間のなさにイライラしながら記事を作成するのはどうかと思ったので、いったんサイト更新をお休みしていました。

少しだけ気持ちに余裕ができてきましたので、子育てのお話を少し書いておきます。^ ^


不登校予備軍の小学生のお話

うちの2番目さんが不登校予備軍であるというお話は何度かお伝えしてきました。

小学校3年生のときから学校に行きたくないと言い出し、一時期は朝ふとんから出てこなくなったり、朝から泣いて学校を嫌がったりしていました。

どうにか学校まで同行して連れていき、1日のほとんどを教室に入れないままで、保健室や職員室のすみっこで過ごしたりしていました。

経緯はざっくりと以下のような感じです。

小学校3年生1学期:学校が嫌だと言い始める
小学校3年生2学期:学校に行けなくなり、行っても教室に入れない
小学校3年生3学期:毎朝親が学校へ送り、保健室登校
小学校4年生1学期:教室に入れる日もあるものの、基本は保健室登校
小学校4年生2学期:朝から教室に入れるようになり、参加できない授業だけ保健室へ。
小学校4年生3学期:朝から教室へ行き、どうしても参加できない授業は廊下で聞く。

この間、私は私で、子供のこと以外にも人間関係の悩みがあったりして、コミュニケーションの勉強やら自己啓発系の勉強会やセミナーで勉強をしていました。

中にはあやしいものや、半永久的に月会費がかかるものに勧誘されたりして、いろんな意味で勉強になりました。笑

また、いろいろな本を読んで勉強し、その中で興味をそそられるものは関連の書籍等を調べてさらに勉強し、関連した勉強会についても調べました。

私個人としても、人間の生き方やコミュニケーション、人と人のつながりについて、こんなに能動的に学んだ時期はなかったかもしれません。

親が対応を変えれば子供は変わる

学年が変わってもまだ保健室登校が続き、夏休みの間、うちで楽しく過ごす我が子の姿を見ながら、私は子供への対応を変えました

その対応は、それまでに学んだことを参考に、子供の幸せはもちろんですが、自分自身の生き方や幸せについて考えた結果でもありました。

「学校が嫌だ」という意思表示をされたときに、「うん、学校が苦手なんだよね。でもさ…」と語りかけてきたその言葉の「でも」をやめることにしました。

学校が嫌なのはどうしてか、それは本人にとって、学校にいるとなんからの不安やマイナスがあるからだと思います。

家にいたいと思うのは、学校よりも家のほうが安心だから。そして本を読んだりyoutubeを見たり、好きなことをして過ごしたいと思うから。

自分自身や自分たちの家が子供にとっての癒しであるということをしっかりと認め、自分の行動や対応が、子供が学校というストレス(と、今は感じてしまっているもの)に立ち向かうための栄養になっているのだと自覚しました。

そして、我が子の気持ちや望んでいることを、子供本人が自覚できるよう言葉にして伝え返すようにしました。

「学校が嫌なんだよね。みんなの中にいくと、楽しいこともあるけど不安に感じることがあるんだろうね。おうちのほうが安心していられるからおうちで過ごしたいのかな。」

これは大人が相手の場合でも同じだと思いますが、子供の言葉に対して「でも」とか「いや」とか「そうじゃなくて」という否定的な言葉を使わずにいることが、ただそれだけで相手に対する肯定になるということを学びました。

そしてなんらかの提案をこちらから出したとき、それを子供が受け入れなかった場合に、それに対して怒ったり不機嫌になるのは、ただの強要でしかないということを何度も自分に言い聞かせました。

成長は少しずつでも良いから進んだことに目を向ける

今でもうちの子は一部の授業では教室に入れないこともあります。それでも、少しずつ参加できるようになってきました。

今日は苦手な授業があるね。すぐにみんなと同じように授業に出られるようになれば良いとは、お母さんは思わない。それでも、あなたの課題はコミュニケーションに関わる部分にあるから、学校という場所で他の子たちと関わりながら、苦手なことからもただ逃げるのではなく、どうしたら参加できるのかを考えるのが課題。
少しずつで良い。移動教室でその部屋に入れないなら、まずはドアの前まで行こう。
今日の目標はドアの前まで行くこと。

そんなふうに、小さな一歩を大切にして、子供と対話しながら目標を設定しています。

少しでも良い。昨日よりがんばれたことがなんだったのかを見よう。失敗してしまったことは次にまたやってみればそれで良い。

ただ学校に行くことや、他の子と同じことができるようになるのが幸せなのかどうか。

私はそれよりも、将来的に自分の人生に満足できるようになれればそれで良いと思っています。

もっと言うなら、その命が尽きるときに、「いろいろあったけど、それでも面白かった」という評価を、自分の人生に対して下せるかどうか。

そのためのゆっくりとした成長につきあっているのが、今のこの時間だと思います。

一点だけを見ずにもっと先の未来までを見る

子供の「今」だけを見れば、いつも不安な気持ちがつきまといます。

それでも、他の子供たちと同じように過ごすことが難しい子供も確かにいます。それはただの特徴であり、どうしても解決しなくてはいけない短所とは言えない。

みんなと同じことがするのが苦手という、短所に見える特徴は、どこかで何かのきっかけで長所につながることもあるのではないでしょうか。

今ある「苦手」を見つめていくことが、成長していく先の未来のために必要であるからこそ、表面に出てきているのだと思います。

一見つらく悲しいと思えることや、苦しくて逃げ出したくなることでも、何かのために必要なこと。

親がどんな対応をしたとしても間違いではないし、意味があるのだと思います。心配のあまり叱ってしまったことも、まるでみんなと同じようにできないことが短所であるかのように子供の前で悲しんでしまったことも。

すべて子供の成長のために必要な、ただの小さな要素のひとつひとつでしかない。

だから、考えられる限りのことを考え、子供の幸せのために行動していきたい。

親にとっても子供にとっても、課題のように思えることが実はすごく大切なギフトだったりします。じっくりと付き合って、今しかない子供との時間を大切にしていきたいですね。

我が家と同じような課題を持つおうちの方や、子供たちが、苦しい気持ちにならずに、少しでも前に進んでいけますように。

最後までお読みいただきありがとうございます。
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