我が家の2番目さんが「学校に行きたくない」と言い始めてから1年以上がたちます。教室に入れないことがあっても登校はしているので、「不登校」の定義には含まれず、未だ不登校予備軍の子です。
小学生の我が子の不登校については幾度となくこのblogの中で触れてきましたが、ここに来て、夏休み明けからほぼすべての授業に出られるようになってきました。
まだ本人もつらそうで、状況としては一進一退かもしれませんが、今回改善の一助となったであろう対応の仕方は自分の中ではっきりしてきたので、記録がてら記事としてまとめておきます。
実際にやった不登校を改善した対応の仕方
他の記事でも書きましたが、一言で言うと「子供の気持ちに共感」したことが、良い効果をもたらしたと思います。
「共感」の意味は「相手の気持ちを理解すること」だと思います。では「共感」って実際のところどうしたら良いんでしょうか。
私は以前から「共感」が大切だとは思ってきましたが、行動としてどうしたら良いのかがわかりませんでした。
子供の不登校問題とは別の関わりもあって、コミュニケーションの勉強をしていく過程で、「共感」について少しずつ理解を深めていきました。
いろいろ学んで少しずつわかってきたのは、「相手の気持ちを言葉にする」ことが「共感」を相手に伝えるために効果的ということです。
子供から「学校に行きたくない」と言われた時に、私は「そうだね。」と共感の意を表すようにしてきました。
でも、その言葉にはいつでも続きがありました。
「そうだね。でも嫌でも学校に行っておかないといけないよ。」
「そうだね。でも嫌だからってやらなくても良いということにはならないよ。」
「そうだろうけど、がんばろうよ。」
「うん。そんなことはもうわかっているからいい加減にして。」
これらの言葉は、確かに一度相手を肯定しているかのように見えますが、実際にはまったく共感していませんでした。
言葉の奥にどんな気持ちがあるのかを考える
「学校に行きたくない」
そう言ったときの子供の気持ちはどんなものでしょうか。
それを奥深く掘り下げて考えてあげられるだけの余裕が、私にはありませんでした。だからまずやったことは、「そうだよね。学校嫌なんだよね。」とだけ答えるようにしました。
その後に続く「でも」をやめることから始めました。「でも」に続く言葉はすべて、子供の気持ちを否定しているのと同じだからです。
子供から学校に行きたくないと言われた時、多くの親はショックを受けると思います。それを失敗と感じ、自分を責め、なんとかして改善しなくてはと考える人が多いのではないでしょうか。
状況を改善しようとするときに、人は改善案を出します。なんとかできそうなことをアドバイスして、少しでも良くしようと考えます。
ですが、そのすべての改善案が、学校に行きたくないと思う子供の心を傷つけてきたのだなと思います。
すでに子供自身が「学校に行きたくない自分」を責めているのに、その上、親が「学校に行きたくない状態」を改善しようとするなら、それは、今あるその子を否定しているのと同じです。
私は、子供の気持ちをわかろうと努力してきましたが、私ががんばればがんばるほど、改善案やアドバイスをすればするほど、子供を追い詰めてきたのだと思います。
親が学校に行かなくてもいいと思うと子供の不登校が改善する
子供が不登校気味になってからいろんなものを調べたり本を読んだりして、幾度となく見かけてきたのは「親が子供に対して、学校なんて行かなくてもいいじゃないか、と思えるようになると、子供の不登校が改善する」というお話です。
親が肩の力を抜くことが大切なのかな?くらいに思ってきましたが、「親が学校に行かなくてもいいと思う」状態というのは、親が子供に対して、学校に行くためのアドバイスをしなくなった時と考えることもできると思います。
「学校に行きたくない」というその子をそのまま受け入れて、無理に学校に行かせようと努力するのをやめる。
それは、子供からしたら「あなたはそのままで大丈夫」というメッセージになるのかもしれません。
具体的な「共感」の仕方
「学校に行きたくない」と言う子供に対して、「そうだよね。学校に行きたくないんだよね。」と返してあげる。そして、改善案やアドバイスをやめる。ここまでは書きました。
もう少しだけ「共感」の表現について書いておきたいと思います。
これは子供に限らず大人でも多くの人がそうだと思いますが、人間は他人に理解されたいと思う生き物です。
何かのストレスにさらされたとき、その状態を改善したいと思うのはもちろんですが、それ以前にまず、その状態を誰かにわかってほしいと思うのが人間なのだと思います。
でもそれは、その時々の本心を、そのままストレートには表現できないのもまた人間らしい不器用さだと思います。
不登校の子に対してごちゃごちゃと改善案を出してしまっていた私も、本心は「ただ子供のことが大切で、心配で、幸せになってほしいのに、みんなと同じことができないせいで不幸になってしまうのではないか」と怯えていただけです。
本当に共感して欲しい本心は、自分でも見えていないところにあることが多いのではないでしょうか。
だから、子供の言葉を聞くときに、この子の本心はどこにあるだろう、本当に望んでいることはなんだろう、と考えながら聞く必要があったのだと思います。
そして、もし子供の本心のカケラを言葉の中に見つけたら、それを取り出して、見せてあげることが必要だったのだと思います。
声かけとしては「あなたは本当はこうしかったのに、それができなくて不安で、だから学校に行くのが嫌なのかな?」というように、気持ちについてたずねるのが良いそうです。
まとめ
文章で書くと単純なことかもしれませんが、ここで書いたような対応が私にはどうしてもできませんでした。できたとしても本当に少しずつでした。
具体的な共感の仕方を理解するまでに時間がかかったこともありますが、今だって、いつでもふさわしい対応ができるわけではありません。失敗しちゃうことがたくさんあります。
でも、お母さんだって人間だし、失敗したって良いじゃない、と思うようになりました。
お母さんはお母さんにできる範囲で、あなたのことを考えて、あなたのためにできることを探し続け、少しずつでも実行し続ける。と子供に伝えていきたいと思います。
相手の言葉の向こうにある本心をさがして、それに共感し、共感していることを相手に伝え返す。
私にとってはすごく難しく、今でも少しずつ少しずつ学んでいるところです。それでも、日々の対応の中に取り入れることで、子供が変わってきたように感じています。
我が家の場合もまだこれからどうなるかわからず、もしかしたら明日にはまた保健室登校になり、毎朝泣くようになるかもしれません。
それでも、きちんと相手に伝えるかたちで共感をしていくことは、何かしらの良い効果を生むと考えています。
同じような悩みを持つ方にとって、少しでも参考になる部分があれば幸いです。
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