小学生のお子さんが「学校に行きたくない」と言いだしたとき、親はいったいどういう対応をしたら良いのでしょうか。
今回は、我が家の小学生が学校が苦手になり始めたときの、親としての私の間違った対応を振り返りかえりながら、どういう対応をすることが子供のためになることだったのかを考えていきたいと思います。
どんな子供もある日突然学校に行けなくなるかもしれない
我が家には学校が苦手で日々「学校に行きたくない」「学校やだ」と言っているかわいい小学生がいます。この不登校傾向が現れてからもう1年半以上の時間が過ぎました。
今年の夏休み明けからやっとほとんどの時間を教室で過ごせるようになり、通級のお世話にもなりながらコミュニケーションについての学習もしています。
そんなうちの子がはじめに学校に行きたくないと言いだしたときの最初のきっかけは、3年生になりクラス替えがあり、新しい担任の先生に対して苦手意識をもってしまったことでした。
今思い返すと、それはひとつのきっかけに過ぎず、いろいろな不安が手伝って、学校が苦手になっていたのだと思います。
ささいなことがきっかけで学校に行けなくなる。それはどんな子供にも起こりうることです。
子供の欲しているものを見定めて共感する
子供が学校に行けなくなってしまったとき、まず多くの親がすることは、子供を説得しようとしたり、アドバイスをしようとしたりすることだと思います。
子供の不安に耳を傾けて話を聞くのはもちろんですが、「それでも学校に行ってほしい」というのが多くの親が願うことではないでしょうか。
今元気に学校に通っているお子さんをお持ちの保護者の方にも想像していただきたいのです。ある日お子さんが「学校に行きたくない」と言いだしたときに、自分は子供に対してなんと言うか。
私が想像できる対応は以下のような感じです。
- 学校に行きたくない理由をたずねる
- それでも学校に行かなくてはならないという話をする
- こうしたら学校が楽しくなるよとアドバイスをする
- 叱りつけて無理やり学校に行かせる
- 学校に行かないとどんな困ったことが起きるかを話して子供をおどす
これらの対応は、我が子に不登校傾向が現れたときの私の対応そのものです。そして、これらの対応をしていた頃、子供の状態は改善しませんでした。
でも、対応を変えるようにしてから、明らかの子供の様子が変わってきました。
我が家で不登校傾向を改善するために効果があった対応の仕方は、「子供が欲しているものを見定めて共感する」という対応です。
「学校に行きたくない」と言う子供が欲しているものはなんでしょうか。うちの子の場合だと、例えば「安心できる場所にいたい」「緊張せずに過ごしたい」「不快な気持ちにならずに心地よくいたい」というようなことだったと思います。
つまり「学校が嫌」という否定的な表現の裏には、「安心していたい」などの欲求があるということです。
子供の話を聞くことももちろん大切ですが、子供の気持ちの裏にある「欲するもの」を見定めたほうが良い理由は、それを見つけて子供に伝え返してあげないと、子供が共感されたと感じ取れないからです。
「共感しているつもり」では意味がなかった
親が話を聞いて、一生懸命共感してあげているつもりでも、子供本人がそれをプラスのものとして受け取ったり、自分の気持ちをわかってもらえたと感じることができなかったら、なんの意味もありません。
私の失敗の話をします。
私はいつも、何度でも話を聞くようにしてきました。そして、「そうなんだね」「学校が嫌なんだね」「先生が苦手なんだね」と、共感したつもりになっていました。
でもそれは、子供にとっては共感ではありませんでした。
なぜかというと、私の、共感したつもりになった対応の後には、いつも「でも」「だけど」が続いていたからです。
「そうなんだね。でも学校はみんな行かないといけないんだよ。」
「学校が嫌なんだね。だけど楽しい時間だってあるでしょう?」
「先生が苦手なんだね。それはわかるけど、先生だって一生懸命やってくれているよ。」
これらの対応が子供をさらに苦しめていたのだと思います。「でも」や「だけど」が続く対応は、相手からしたら、まったく共感されていない、自分の話を聞いてくれない、と感じるコミュニケーションです。
聞く、観察する、子供の欲するものを見定める
私はちゃんと子供の話を聞いているつもりでしたが、それさえも満足にできていなかったんだなと今では思います。
説得も、アドバイスも、おどしも、子供の心を親から遠ざけるコミュニケーションなのですが、それがまるでわからなかったために、子供の不登校傾向を改善するまでに時間がかかってしまいました。
子供の「学校に行きたくない気持ち」を軽くしてあげるためには、周りの人間のサポートが重要だと思います。
それは、小学校という場所で過ごす時間の多くは他人とのコミュニケーションであり、コミュニケーションの問題を改善するためには、本人以外の他人が関与する必要があると思うからです。
子供の話に耳を傾け、行動や様子をよく観察し、何に困っていて、何に苦しんでいて、何を欲しているのか、どういう状態を提供すれば安心することができるのか。考えなくてはならないのはそこだったのに、私は子供を心配するあまりに、一生懸命に全力で、子供の心をかたくなにさせていたのだと思います。
学校に行ってほしい。他の子と同じようにしてほしい。それらは親としての私が欲するもの。
その自分の欲を正当化するためのコミュニケーションを続けていれば、子供からしたら、「わかってもらえない」と感じても不思議ではありません。
まとめ
お子さんがある日「学校に行きたくない」と言いだしたら、まずはじっくりと話を聞いてあげてほしいと思います。そして決して「でも」「だから」と言わないで。
子供がどんな状態を望んでいるのか。あるいは、親や学校にどうしてほしいと願っているのか。あるいは、子供自身がどうなりたいと思っているのか。その子の希望しているものを見つけることで、必ず良い道が見つかると思います。
これは不登校に限らず、これから先、我が子が何かにつらくなっているときの対応の仕方として、私が心に刻んだことです。
今は、未熟な親である私に、こういうコミュニケーションについての学びを与えるために、「子供の不登校」という出来事が起きたのではないかと感じています。
私や私の子供たちには、これからの人生を生きるにあたって必要な学びだったのだと思います。そう思うくらいに、私にとっては重要な出来事でした。
親として以前に、自分という人間の、他人に対するコミュニケーションや物言いについて掘り下げる機会はなかなかありません。子供に関する出来事だからこそ、私は子供のためにいろいろなものを学ぼうとしました。自分のためだったらがんばれなかったと思います。
一見ただマイナスなことのように感じられる「子供の不登校」ですが、決してただのネガティブな出来事ではなく、子供や親の人生にとって大切なものがたくさんかくれています。
まだうちの子には課題があり、私もゆっくりと、でもやめることなく、学んでいこうと思っています。^ ^
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